A story about a hanger
January 14, 2010
(sorry, written in Japanese only)
贔屓のセレクトショップが自由が丘にあった。
私と同じく靴が好きで、IT業界で働いていた経験もあるオーナー店長は、アパレルが好きで、脱サラして小売りの世界に飛び込んだのだ、と聞いた。スーツも、ブラウスも、ニットも、カットソーも何枚もそこで買った。
今、その店は無い。
テナントとして入居していたビルが取り壊しになり、再開発で大きなモールができることになり、立ち退きにあった。彼の店がなくなることを、浮き浮きと夏用のブラウスのデザインと生地を選んでいる最中に、辛そうに打ち明けられた。
会社を辞めて始めた自分の店を失い、かと言って新たな店を出す程の投資を打つ余力も無く、彼は途方に暮れていた。
しかし、ここから、事態は急展開する。
彼の店の取引先だったニットメーカーから、新しい魅力的な仕事のオファーがあったのだそうだ。卸一本槍で来ていたその会社が、初めての直営店を出すので、ショップの立ち上げ、ニット以外の商品のセレクトや買い付け、接客、店のマネジメント全般を任せたい、と。彼の仕事ぶりを、きっと高く評価していたのだろう。
最初の彼の店の閉店から、わずか数ヶ月後には、立派なオープン案内ハガキをいただいた。恐る恐る、訪ねてみたら、前よりも広いし、立地も客層も違う。最初は遠慮しながら立ち寄っていたが、彼は、馴染みのあるお客の顔を見ると、いつも喜んで、前の店で買ったものや、私の気に入っている靴もよく覚えていて、季節が変わるたびに私に服を見立ててくれるようになった。
そして、新しい店ができてから1年が過ぎた頃。
彼のおすすめで、半年前のバイイング時期から予約を入れていたジャケットを取りに行ったら、「もしよかったら」と、一本のハンガーを袋に入れてくれた。
何も言われなくても、見ただけで、私には、それが何だか分かった。彼が初めて自分で作ったお店で使っていたハンガーだったのだ。
お店ができる前から、丁寧にその立ち上げの様子をブログに綴り、細かい備品の一つ一つまで、考え抜いていたことも、閉店するときに、壁紙の一部まで切り取って持ち帰り、大事にしていることも、私は知っていた。その主役とも言える商品をかけていたハンガーともなれば、彼にとっては、自分の分身のようなものに違いない。
「こんな大事なもの、貰う訳にはいかない」と遠慮したら、「いや、ぜひ貰って欲しい」と彼は言う。
自分が、前の店を畳まなければいけないことになった時、正直言って目の前が真っ暗になった。清水の舞台から飛び降りる覚悟で勤めを辞めたのに、これからどうなるんだろう、と不安で一杯だったし、贔屓にしてくれるお客さんに店がなくなることを伝えなければいけないのが、苦しかった。だけど、Tomomiさんに閉店を伝えたら、自分の家族や知り合いのリスクテイキングなキャリアチェンジの話をして励ましてくれたり、未来の希望について考えてくれたり、何より、落ち込んでる自分の気持ちを「売り手と買い手」の立場を超えて真剣に聞いてくれた。その時期、Tomomiさんが色々と辛い状況にあったということを、当時の自分は全く知らなかったし考える余裕も無かったが、後で聞いて、驚いた。
こうして一人でやってきた自分を必死に励ましてくれるお客さんがいて、すごく嬉しかったし、何より、人として、Tomomiさん自身が大変な時なのに、一知人である自分に、そこまで親身になってくれたことを、自分は忘れない。と。
私は、あんまり自分自身のパーソナリティや生活についてブログに書くことは無い。こういう、ビジネス色濃厚なブログだし、私の日常生活についてなど、それほど面白くもなければ特筆すべきこともないと思っているので。
でも、普段、わざわざ口に出すことは無いが、「自分がハッピーな時に他人に優しくできるのは当たり前。辛い時に、どれだけ他人の立場に立てるかが、人として大事」だと、長いこと思って来た。
「ブログが書けなかった」と以前告白したが、数年間、公私共に心を痛めることが数多くあった私にとっては、彼の言葉と気持ちは、涙が出そうになるくらい嬉しい贈り物だった。
とある元IT業界人がオーナーとして始めた、とあるセレクトショップのハンガーは、立派に「前肩」で、今も我が家のクロゼットに掛かっている。レディースとは思えない渋く上質な素材を使って、燻し銀の技術を持つ日本のテイラーが仕立てたジャケット(言うまでもなく、彼の新しい店で買った)の止まり木となって。