GoogleとYouTubeの結婚から考える、著作権とメディアビジネスの今後の産業構造転換にまつわるよしなしごと
GoogleのYou Tube買収について。いくつか視点はあるんだけど、とりあえず
既存メディアに与える影響と著作権に関するよしなしごと。
というポイントで考えてみようと思う。ET研では散発的に言いたいことを言った感じになったが(すみません)、背景としては、こういうことを考えていて、それが散発的かつ断片的に発言に出てきたわけである。また、もちろん、会の場で頭が整理されてきたことは言うまでもない。
視点としては直近のところでYouTubeもうかるのか?とか、Googleの戦略は?とかその辺りのミクロ経済的な視点ではなく、もうちょっと長い視点で、CGM時代のメディアと著作権という関係についてこれがどう変わっていくかを考える。
Google+YouTubeがメディア産業全体に対して、とくに著作権に絡めたところで、大きな産業構造の転換を促すのは間違いない。では、どういった将来がそこには考えられるかを俯瞰的に議論したい、ということである。
<目次>
①まずは論点の整理から
②考えられる広告の仕組みとは
③Googleが買ったものは、本当の意味では何なのか?
④既存メディアが騒ぐ著作権に関する課題の本質
⑤では、原著作者に対するリスペクトはどのように行われるべきか?
ここまで書いて、ここでは荒削りにしかかけないことに気づく。ちゃんと論点おさえたら、一冊本書けるなぁ。そりゃそうか。
①まずは論点の整理から
間違いなくYouTubeのコンテンツを収益化することは考えているはずだし、時間の問題で、どこかのタイミングでYouTubeを収益化することは実装されるはずだ。そのときには、コンテンツをアップした人、YouTubeのどちらにもお金が落ちるようになるはずである。AdSense的に自分のサイトに自由に貼り付けられるものを提供もするだろうし、そのときには貼り付けた人にも落ちるはず。ここまでは容易に想像がつく未来。
キーポイントは、その際に、
①原著作者にまで遡及してお金が回るような仕組みが出来るかということ。またそこに意味が有るかどうか。
②原著作者にまで遡及されなかったときに、著作者に対する報酬・動機付けはどのようにされるのが望ましいのか?
ということ。
この議論の中で最終的にこの2点を抑えておくことがポイントになる。いずれもいささか戦術的な議論ではあるのだけど、戦術上の限界が戦略を既定することは良くあることなので。これをどっちに転がすのかによって、世の中がどのように変わっていくのかが全く変わってくる。要するにこの2点の課題を考えたとき、①の仕組みを作ることは明らかにコストなのである。もちろん過去作られた社会的システムは②を担保するために作られている。
②考えられる広告の仕組みとは
そりゃもう、たくさんあるわけである。いくらでも。ユーザに受け入れられるか?とか、動画に広告入れたってスキップされるし、とか、いろいろ議論はあるわけだが、クリック成果報酬型の広告だけが出稿主の出したい広告ではないのである。そのことの意味・背景が理解できていれば、いくらでもやりようがある。
広告料金のかかり方としては、PageRankを使えばよいわけで、これだけで単価を上げられる。R30さんに言われて気づいたのだけど(言われなくても気づけよ。ばかって感じだが(笑)YouTubeの動画にGoogle的PageRankを適用することには意味がある。誰から見られてるか、どれくらい見られてるか、どれくらいリンクされてるか、どれくらいコピーされてるか(笑)は、重要なランクづけである。
さて、どんな風に広告を入れようか。
(Continue Readingへつづく。長いんです。)
①原始的なインプレッション型
YouTubeにアップされた動画に強制的に前挿入または後挿入の広告を入れる。数秒ロゴがでるだけでも、ナショナルクライアントの広告が取れる可能性は高いことは、とあるインターナショナルフリーペーパーが実証しているのだが、それはまた別の話。
いずれにしても、アップされた動画の後ろ3秒に強制的に、
This movie was brought you by "PEPSI".
というわけ。
まずはこれくらい原始的なものが成立しないことには次に進まない。
スキップされるかも知らんけどさ、サブリミナルの効果は科学的に実証されてるわけでして、後挿入で数秒、ロゴ表示される程度の広告をフェードイン・フェードアウトで入れたら、入れたい人はいっぱいいると思うわけですよ。広告がはいることによってユーザが離れる、としたら、アーリーアダプターの偏屈ものは離れるかもしらんと思う。が、「自分のアップした動画の後ろに広告がついてそれによって自分にチャリンとお小遣い入るから、こんなサービス使いたくない」と、マジョリティが思うかだろうか?
動画見る側が離れるとしたら、それは広告を入れる側のセンスの問題になるだろう。
むしろ、入れるに当たって解決するべきは技術的な問題ではなく、ますますライツの問題。
②原始的コンテンツマッチ型
タグの使い道としてはいろいろなんだけど。そこから副次的に得られる効果として、タグクラウド的「きざし」の世界だったり、が生まれる。広告の世界的には検索したり整理したりするために使えるのはいうまでもあるまい。動画の中を解析するのは大変そうだけど、信頼性は低いがとりあえず、ついてるタグとそのシソーラスを使ったコンテンツマッチ・キーワードマッチは作りやすかろう。
③そこまでやる?コンテンツマッチ型
動画の中身の解析までやって、それとのコンテンツマッチ。動画の中でいろいろな音、映像が流れるだろうが、その意味に合わせる形で、テキストやら画像やらが広告として出てくるタイプ。夢はあるのだが、信頼性があがるまでにどれくらいかかるのか?とか、そこまで意味が有るのか?とか、その広告、相当うざくね?とか、その辺はまあ、おいておくとして。
でも、流れてる動画の中身をみて、これとこれって合ってるんじゃね?が出来たら楽しそう。
その技術って、ロボットに応用させてみたら、楽しそうだよ。うん。
そのほか、広告に動画をつかうかも、ということもかんがえると、BT(行動ターゲット)とか、プロダクトプレースメントが親和性は高そうである。
これらは作れば作れる「仕組み」であるし、とくに①と②は存在する「仕組み」で、適用はそれほど難しい話ではないし、時間の問題でしょ?とおもう。どっちかというと、ライツ問題の方が問題。収益化できるかどうか?という議論をする上でこれまでのYouTubeが課題だった部分=インフラコストが大変=開発工数の確保にキャッシュを回せないリスク、という構造がGoogleによる買収である程度解消されるならば、これはもう時間の問題というしかない。
③Googleの買ったものは、本当の意味では何なのか?
で、Googleが何を買ったのかというと、巨大なコンテンツデータベースと、そこにアップしたいと考えるユーザ=ブランドを買ったということがいえる。寒いコンテンツ=お金にならないコンテンツばっかりじゃん?ということもあるのかもしれないが、いやいやどうしてどうして。寒いコンテンツが大量にあるなかにこそ、こっそりと珠玉のコンテンツはあるものであり、好意的に解釈をすれば、珠玉のコンテンツはどこかでだれかに見出されるものである(点の議論ではなく、長い目でみて、全体として考えると、という議論のなかで)。
最も重要なことは、ほっといても大量の「寒いコンテンツ」が集まる仕組みができあがっているということである。こうすることで、期待値的には珠玉コンテンツが定期的に出てくるということになる。
こういうとわかりやすいだろうか?
2001年当時にYouTubeが存在していたとしたら、Wold Trade Centerの映像が一番最初に流れたのはどこだろうか?
歴史にタラレバはないが、この仮定はいろいろなことを考えさせる。North TowerにAmerican Airlines Flight 11が激突した映像というのはメディア側は誰も持っていなくて、たまたま観光客が撮影した映像があっただけで、各局はこの映像をこぞって買い求めようとした。
もし、このとき、YouTubeが存在していて、そこにアップロードしたコンテンツを収益化する仕組み(もちろん原著作者も含め配分されるとして)があったとしたらどういうことになっただろうか?
既存のメディアにある一定程度レベル以上のコンテンツが集まるのは、そのメディアが持つ媒体力ゆえのことである。ゼロから媒体を立ち上げる時には寒いコンテンツからアツイものを見出す目が必要であるが、ある程度媒体力ができるとそこにコンテンツをのせたいと思う人が集まってくる。これが繰り返される中で、珠のコンテンツが集まり始める。YouTubeは見出す目を自動化したというか、石も珠も片端からアップロードさせて、誰でも見られるようにして、という一種の直接民主制によって実現している。その中から珠を見つけ出すのもまた、直接民主制。
Googleはこの仕組みを買ったということになる。既存メディアとは喧嘩になるだろうし、血も流れるであろうが、通信料が一番大きな負担になるほどユーザにこれだけ使われているYouTubeというのはもはや無視できない存在であるし、言わば「勝てば官軍」というのが、冷徹に言えば、ビジネスの実態である。YouTubeに②にある何らかの広告の仕組み=マッチングの設定をすることでいくらでも収益化は可能とふんだということであり、それが十分以上の額であるならば今度は映像制作するクリエイター側を取り込むきっかけにもなる。そうなれる目算が立つということが「勝てば官軍」ということであり、Googleの財布的には「小額」、一般的にはそれなりな額のバリュエーションがついているお買い物であり、Googleとしては初めて「完成品」を買うというチャレンジをした意味合いということになる。
ところで、仕掛け人は誰か?ということだが、Google、YouTubeどちらかの単独の思い付きではあるまい。単独では収益化するタイミングを逸するのではないかとかんがえた、なのか、単純に収益化する仕組みを作るのが多重投資の無駄なコストになると考えた、なのか、GoogleにもYouTubeにも絡んでいるセコイア辺りがマッチングさせていたとしてもなんら不思議ではないのだが、それは完全に憶測。
④既存メディアが騒ぐ著作権に関する課題の本質
YouTubeに流されることによって、既存メディアが過去に流した作品の著作権に関しての議論はそれ単体としてみると、実はあまり意味がない。たとえば、コピった何かをブログにアップロードするのと大して変わりはないわけであるから。ただ、分量は多いのでそれはそれとして、というのはあるだろう。そこに広告がついたときに、2次利用権の侵害には明確になるので、そこに対する議論というのであれば、もう少し意味がある。その方向に向かうことはどう考えても明らかなので、そこへの牽制という意味がでてくる。
ただ、もっと本質的な議論をすると、既存メディアが持つべき危機感は別のところにある。
実は、既存メディアで流されているのは「寒いコンテンツである」ということがわかってしまったとき。
寒いコンテンツだ、と言っているわけではなく、YouTubeが収益化ツールとなったときに予想されることは、①儲かるコンテンツは恐ろしく儲かり、そうでないコンテンツはからっきし、という振れ幅が大きくなるであろう事と、②それを決めるのは成果報酬型=観客がおもしろいと思えば儲かるし、そうでなければ儲からない、ということがより直接的にわかってしまうということである。
YouTubeを通じてそれがわかってしまったときに、既存メディアの媒体力に疑いがかかってくることの方が、既存メディアにとっては痛手である。 YouTube単体では、産業構造的な話でいえば、広告費用の分散先がまた一つ増えるというだけで、それについては既存の動きを加速させるに過ぎない。しかし、もし、「寒いコンテンツばかり」ということがわかってしまうと、既存メディアとしては媒体力を疑われることになる。これは長期的には広告を出稿する価値がない烙印を押されるということに他ならない。これでは、既存メディアとしては、これといたずらに競争して限られたパイの奪い合いをするよりは、これと共存することを考えた方が正解。つまりYouTube的な直接民主制の世界で「寒いコンテンツ」の集まりにならないようにする、という課題を解決できる100%な方法が何もないというのがこの場合大きいわけである。決めるのはその他大勢の大衆であり、YouTubeでそれを操作することは大変難しいし、逆にそれはバッシングされるだろうからそんなリスクは犯せない。
こうしたところをまとめて考えると、これからおこるであろう訴訟やら何やらは、総合して考えると、既存メディアがYouTubeとどう交渉するか?のための交渉のカードとして考えた方が良いかもしれない。点の議論=一つ一つの訴訟に対してはそれぞれ対応を迫られるだろうが、YouTubeの企業全体の戦略として考えると、どういう事業ロードマップを提示して既存メディアと折り合いをつけるかということを考える方が得策であろう。それが逆に自分たちの収益源を一つ増やすことにつながる打ち手になる可能性も高い。今のところ決定打は外野からは見えないが、既存メディアがネットの「こっち側」に足をかけるきっかけになったと考えるべきだろう。いかんせん、これまでのYouTubeが相手だと訴訟なんかしてもお金取れるかどうかわからないから、訴訟なんかしても何の得にもならないが、裏にお金持ってるGoogleが、Appleがついてると考えれば交渉のテーブルにつく意味が出てくる。Googleと YouTubeの結婚が、著作権をめぐる業界構造をごそっと転換させるきっかけになる可能性は高い。
⑤では、原著作者に対するリスペクトはどのように行われるべきか?
ここまでは、Google+YouTubeによってどのような世界がやってくるかを俯瞰してきた。
では①の最初に戻って、原著作者に対する報酬はどのように配分されるのがよいのであろうか?ということを考えてみる。
YouTubeによって、制作した動画の収益化が出来るようになってきたとき、YouTube側にとっても敵に回したくないものはメディアというよりは制作者のほうであろう。メディアの方はともかくとしても、YouTubeが質の高いクリエイター=原著作者自身と闇雲に喧嘩をすることは、それはお互いにとってプラスにはならない。問題は、どれだけのコストをかけて、原著作者との接点を考えて実装するかだ。
いうまでもなくデジタル化された素材はほぼノーコストでコピーされるというのが根底にある原因である。この時に原著作者にまでさかのぼって報酬の配分をするDRM(Digital Rights Management)実装の仕方はいくらでも考えられている。
①iTunesStoreのFairPlay的なコピー回数の制限をかける
②原著作者が再編集・コピー不能なフォーマットで制作する
など。DRM技術の仕組みを検索したらそれこそゴマンと引っかかってくるだろうし、それをハッキングする側もゴマンといるわけで、その追求を始めるとキリがないくらいくらい。より重要なのは社会システムとしてどのように実装するかの方。
オンラインゲームの世界で行われているように、原著作者が無料版のトレイラーをばら撒き、興味があったら有料版、または無料のDRM版をダウンロードしてちょ、というやり方を原著作者がやるということは一理ある。もちろん、初めからDRM版をばら撒いても別にかまわない。DRMの仕組みとしてはシンプルに、だれがそれを作ったのか?その人にお金を渡すにはどうしたらいいか?がわかるような仕組みであろう。これによって、どれだけコピーされたとしても、お金をもらいたい原著作者が誰かというトラッキングまではかろうじて出来て、そこに対する配分は出来るだろうから。そこをハックしてまで原著作者を書き換えるようなコピー屋による流通はとりあえず無視。これが成立する前提としては、YouTubeが何らかのDRMの仕組みを公式にサポートすることと、原著作者が簡単にDRMを制作物に埋め込みすることができるサービス・ソフトを簡単に手に入れられるようになることである。DRMをうめこみする前にネットに流出してしまったら、それは原著作者の責任。そこまでは保証できませんよ、と。YouTubeが自分自身を一つのメディアと捉えているならば、その2つを同時にリリースする可能性は、合理的に考えると高い。
つまり、そのDRMの仕組みは、既存メディアとの交渉のカードとしても使えるし、質の高い新作を収集するツールにも使えるし、広告のプラットフォーム的にも重要な要素である。
つまり、そこで原著作者が誰かを追いかけられる=どの作品が派生するコピー&再編集の原種であるかが追いかけられる=その作品価値・PageRankの向上=広告単価の向上=収益率の向上と、容易に結びついていくからである。
いずれにしても、ボランティアではなく、意図的に「アツイコンテンツ」が投げ込まれるような仕組みを作ることでYouTubeの収益率を高められるならば、何らかのDRMの仕掛けがリリースされることは合理的な判断として成り立つ。
これから先が楽しみなのは、YouTubeが本当はどういう人々であるか?であることは間違いない。
①とりあえず広告出稿の仕組みだけを闇雲に実装・リリースして、メディア・クリエイターなど全ての周辺プレイヤーと大喧嘩するの度胸のあるほどの破壊者。
②とりあえず集めるだけ集める仕組みを作り上げたところで、あるタイミングで周辺(広告出稿システム、広告料の配分システム、DRMシステム・・・)まで含めた全てを一気にリリースする策士。
③ただ集められるだけ集める仕組みを追求し続け、集まった動画を見て楽しむ趣味人。
④そのどれでもない、予想のつかないナニモノか。
どれであってもいいのだが、どれだけコピー&再編集されてるか?によってPageRankがあがる仕組みは、ちょっと見てみたいぞ、と純粋に好奇心として思うのである。
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